私が双極性障害になったのは、生活に大きな変化があった時でした。

大学を卒業し、働き出して1年目の仕事は、量と内容の責任が増え、負担に感じ始めていたころでした。

もともと外出不精な性格がありましたが、友人との話の流れで3カ月のルームシェアを行うことが決まり、初めて家族以外の他人との生活をはじめました。

楽しいと自分に言い聞かせる緊張状態が続き、気付くと私は躁状態になっていました。

なんでもできるような大きな気持ちが膨らみ続けた

躁状態に陥っていた当時は、自分が躁状態だということに自分で気付いていませんでした。

なんでもできるような気がして、仕事に生かすのだ、と高額の通信教育講座に入会しました。現状、仕事から帰れば寝る、という状態でとても勉強のできる余裕は時間にも心にもなかった、と冷静な今ならわかります。

教材が届くと、私は眠らなくなりました。高額の支払いをしているのだから、通信教育をやり遂げるのだ、私にはできる、という、いわゆるハイな状態にあったと思います。

1週間以上、一睡も眠らないで家では通信教育をし、仕事にも毎日行ってバリバリ働き、ルームシェアしている友人と休みが合えば、睡眠不足な状態にあるにも関わらず、片道3時間の距離を隣に友人を乗せて高速道路を運転し、日帰りで旅行から帰るなど、自分で自分の「やろう!」という気持ちに歯止めをきかせられなくなっていました。

うつ状態でスーパーマンから廃人手前まで落ちていった

波は突然やってきました。ある朝、もうなにもできない、と涙が流れました。やらなければならないことをかかえて、そのどれもに手を出す気も、片付けられる気もしなくなりました。

起き上がって服を着替えることも、気持ちが不安定で泣いてできません。食事がとれなくなりました。不眠でいることにやる気を見出していたはずなのに、眠れないことに異常に不安になり、死んでしまいたい、という思いと虚無感でなにもできなくなってしまいました。

仕事も辞めることになり、ルームシェアも途中でやめて家族の元へ。病院へ通って薬を飲みながら、私はこの世にいらない人間だ、消えてなかったことになりたい、なにもできない、生きていて意味のない人間だ、と一日中自分を責めることしかできませんでした。

薬物治療と担当医を信じて、山歩きの疲労に癒された

双極性障害の波は治ったと思ったころにやってきて、やっぱりだめだった、というショックからさらに激しいうつ状態へ落ちました。この状態を改善するためにできたのは、医者から出された薬をちゃんと飲む、ということでした。

また、副交感神経の働きによいというアドバイスから、朝は2度寝してしまってもいいから1度は置き出て、ベランダで朝の光を浴び、なるべく寝るのではなく椅子に座るように。

抗うつ剤で躁転してしまったため、抗うつ剤の処方がなくなると、なくなったという事実だけで不安感が酷くなりましたが、先生を信じて、出された薬は飲むことを続けました。

また、軽登山好きな母について山に登るよう。当時テレビやネットは刺激が強すぎて、躁状態やうつ状態を引き起こすきっかけになっていました。

自然の中を歩き汗を流すことで、疲れた、という心地よい疲労感以外の思考が働かず、余計なことを考えないで済みましたし、よい気分転換になって、自然な笑顔と体力が戻ったように思います。

今のわたしは分析家でお医者さんで双極性障害者である

自分が双極性障害だった、と落ち着いて認識できるようになってから、同じ双極性障害の人のコミックエッセイを読みました。ああ、自分もこうだった、あれは躁状態だったのか。

あとからでも自分の状態を思い返して、どこまで正常だったか、どこから躁状態の波を受けていたか、うつ状態に陥っていたか、検証しました。今は、自分の日々の生活の中で自分の1日の行動を思い返すとき、あれはなんだか躁状態っぽかったかもしれない、ひょっとしたら今、少しうつ状態になりかけているかもしれない、と気にかけて少しでも早く対処できるように担当医にすぐ報告して、うまく付き合えるよう、日々負けたりしながらも奮闘しています。

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「鬱」と「躁」の悪循環から独力で脱出する「プチ認知療法」

認知療法で双極性障害を克服した人は多くいます。なぜなら、認知療法で自分の考え方を変えることで鬱と躁をコントロールすることが可能だからです。ですが、認知療法を実践するのは簡単ではありません。そこで、認知療法の専門家が作成したDVDを見るだけで実践が出来るプチ認知療法があります。それを実践すると、認知療法を気軽に実践することが出来、結果として、うつを克服することが出来ます。